娘がテストで思うように点が取れなかったらしく、元気がなかった。
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塾から帰ってきて、玄関で靴を脱ぐ姿に、少しだけ「自分なんかダメなんじゃないか」っていう影が見えた。
そんなとき、つい言いたくなる言葉がある。
「自信を持っていこうよ」
でも、ふと心の中でブレーキがかかった。
「…それって、ほんまに今のこの子に必要な言葉やろうか?」
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石を積んでは崩れる“自信”の記憶
思えば、自分自身も“自信”というものを積み上げようとしてきた。
何かに成功すれば、「これで自信がつく」と思い、次の挑戦に向かった。
でも、その“自信”は、思った以上にもろいものだった。
一つうまくいかなければ、ガラガラと崩れてしまう。
また一から積み直し、また崩れ、を繰り返す日々。
それがまるで、
三途の川のほとりで石を積む子どものような行為に思えた。
何度積んでも、波が来れば崩れてしまう。
でもまた積まないと、何かが満たされないような気がしていた。
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「自己受容」という、崩れにくい土台
そんなとき、ふと知った言葉がある。
「自己受容」
これは、“今の自分をそのまま受け入れる”という考え方だった。
成果があってもなくても、調子が良くても悪くても、 「今の自分もまぁ悪くないやん」と思える心のスタンス。
それを知ったとき、なんだかスッと力が抜けた気がした。
自信を積み上げるのをやめたわけじゃないけど、
積み上げたものが崩れても、「それも自分」と思える余裕ができた。
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娘に伝えたいこと
だから、娘にもこう言いたい。
「点数が悪くても、自分を責めすぎんでええよ」
「悔しいのは分かるけど、それでもあんたはよう頑張ってるよ」
「できた自分も、できなかった自分も、どっちもあんたや。お父さんは、どっちも好きやで」
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自信よりも、安心を育てる子育てを
自信はときに、心を支えてくれるけど、崩れやすい塔でもある。
でも自己受容は、川のほとりに腰を下ろして、
「今日はもう石積むのやめとこか」
と言える強さだと思う。
だからこそ、娘にも、そして読んでくれたあなたにも伝えたい。
「がんばらなくても大丈夫な日があっていい」
「自信じゃなく、安心を育てよう」
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あなたは、お子さんにどんな言葉をかけていますか?
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